丘の上のピアノ     塔野夏子


遠くまで澄みわたる夜
誰もいない静かな丘の上に
一台のピアノ
瑕ひとつなく磨き上げられた
美しい漆黒のピアノ

ピアノはひとりでに鳴りはじめる
誰も聴くことのない旋律を
妙なる音色で
まるで愛しい誰かのためででもあるかのように
甘やかに奏でてゆく

やがてピアノは
奏でつづけながら
すこしずつ宙に浮かびあがる
浮かんでゆくほどに
すこしずつ透明になってゆく
そしていつしか旋律もろとも
夜空に溶けて消えてゆく

丘の上に残るのは
ぼろぼろになった一束の楽譜
けれどやがてそれも朝の風に
ばらばらに吹き散らされてゆく